- 渡部剛士さん
- 文部科学省初等中等教育局幼児教育課 課長補佐。1980年兵庫県生まれ。大阪教育大学卒業後、国立大学、公立中学等の勤務を経て2007年に文部科学省に入省。生徒指導、高校無償化、幼児教育などを担当。東日本大震災の復興、埼玉県戸田市教育委員会などの業務に出向。2児の父。
幼児教育の本質は、小学校教育の
「準備」ではなく「土台づくり」です。
今、子どもをめぐる環境が大きく変わりはじめています。2022年6月に「こども基本法」が公布され、2023年4月1日に施行されました。そして同じ日にこども政策の司令塔として発足したのが「こども家庭庁」です。「こども家庭庁」の最も大切なコンセプトは「こどもまんなか社会」の実現です。そのために、「学び」を担う文部科学省と「育ち」を担うこども家庭庁が連携し、子どもの視点に立って、政策を進めていくこととしています。
今回は、「こどもまんなか社会」について、幼児教育の視点からお話ししたいと思います。
幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培うものですから、すべての子どもたちが質の高い幼児教育を受けられることが大切です。「質の高い幼児教育」というと、読み書き計算などを教えこむ「早期教育」を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、そこは注意が必要です。
幼児教育の本質は、小学校教育の「準備」ではなく「土台づくり」です。幼児期は、自分で興味や関心を持って、頭も心も体も動かし、友だちなどと関わりながら遊び込むことが大切です。子どもたちは楽しいことや好きなことに集中して遊びながら、さまざまな見通しを立て、工夫したり、試行錯誤したり、新たな発見をしたりします。それらは全て、学びにつながる体験なのです。
幼稚園や認定こども園、保育所では、子どもが今何に興味を持ち、遊び込んでいるのかを観察しながら、学びが広がり、深まっていくように援助をしています。幼児教育の質を高めるために、家庭生活の中でもできることがたくさんあります。
子どもと一緒に遊ぶときには、子どものペースややり方であそびを楽しむ様子を受け止め、親も一緒に楽しんでください。子どもは、さらにあそびに夢中になり、いろいろなものに目を向けて関心が広がっていくことでしょう。親が持っている理想的な姿と比較するのではなく、子どもが今関心を持っていることに心を寄せてください。輝いている子どもの目を見れば、いくらでも待てるはずです。
子どもたちにとっては、家族が日常的にしていることもとても魅力的です。我が家でもつい先日、こんなことがありました。
いつもは小学校1年生の兄が家族のお箸を並べてくれるのですが、その日は兄が遊ぶことに夢中になっていました。すると、3歳の弟が「ぼくがやる」と言ってお箸を並べてくれたのです。お箸を持ってくるだけでなく、何も教えなくても、家族それぞれのお箸を、いつもと同じ場所に置いてくれたのです。きっといつも上の子がしていたことをじっと見ていたのでしょう。褒められることで自己有用感も高まり、それがまた次の行動へも繋がります。主体的な学びの機会は、日常のお手伝いの中にもあるのだなと驚きました。
外遊びなど、子どもが多様に遊べる環境を家庭で用意することは、難しいところもあるかもしれません。幼稚園などの施設や園庭の開放、地域の子育てひろばや児童館などの公共サービスも存分に利用していただければと思います。
発達や成長につながるあそびは衣食住と同様に大事なもの
「あそび」が子どもにとって本当に大事なものだと私が痛感したのは、東日本大震災後、復興支援の業務に就いていたときのことです。ボーネルンドとの出会いも、そのとき一緒にあそび場づくりに取り組んだことがきっかけでした。
実は私自身も、中学生のころに阪神・淡路大震災で被災し、長い間公園で遊べなかった経験がありました。東日本大震災でもまさに同じような状況でした。津波にさらわれた土地はがれきだらけで遊ぶこともできず、仮設住宅では大きな声を出すことも、走り回ることもできません。子どもたちは大人の状況もよく見ています。大人が一生懸命我慢している時、「遊びたい」という声を上げることはできませんでした。
子どもの声なき声に耳を傾け、ようやくあそび場ができたとき、子どもたちが思い切り声を上げて、とびきりの笑顔で走り回っているのを見て、「やっぱり我慢していたんだな」ということがよくわかりました。
子どもたちにとっての「あそび」は、大人にとっての「娯楽」ではありません。発達や成長にも直結し、「衣食住」と同じくらい大事なものなのだと思い知らされました。そして、自分が何のために仕事をしているのかを思い出させてくれました。
こどもまんなか社会に向けて大人ができること
「子どもの主体性」や「子どもの意見を聞く」ことは、幼児教育の現場では昔からとても大切にされています。復興の現場でも、「まちのために何かしたい」という声に応えた「復興計画に子どもの意見を反映させよう」という活動もありました。何十年後の復興した町で中心となるのは、私たち大人ではなく、子どもたちなのです。今、小学校以上でも子どもたちの意見をしっかりと聞き入れながら、対話し、校則を見直すといった流れも生まれてきています。
子どもは守らなければいけない存在である一方、一人の人間としての権利を持っている主体です。家庭においても、親が上から言うことを聞かせるのではなく、子どもが何を考え、何を感じているかに耳を傾け、対話しながら一緒に考えていくことが大切です。小さいからわからないだろう、小さいから判断できないだろうと思いがちですが、何がしたいのか、何が嫌なのかということを言葉で表現できないとしても、子どもたちはたくさんの意見を持っているのです。自分の思いを親に十分に受け止められて嬉しいという体験が、友だちの気持ちを受け止めたい、友だちに喜んでほしいという気持ちを育むのではないでしょうか。
私は、これまでの経歴の中で、不良と呼ばれる子どもたちともたくさん関わってきました。自分を素直に表現することが苦手な子どもたちや、家庭環境に恵まれていない子どもたちは、外から見ると怖い存在に見えますが、実際には純粋で傷つけられることを恐れている子どもたちであることが多かった。どんな環境にいる子どもたちの声も、しっかりと聞いていかなければならないと強く思っています。
今の子どもたちは、これからの変化の激しい時代を生き抜かなければなりません。一人一人に高い資質能力をしっかりと育成し、それぞれのウェルビーイング※を実現していくことが、私たち大人に課せられた使命だと思います。「こどもまんなか社会」の実現に向けて、まずは、目の前の子どもの視点から物事を見つめ直すことから始めてみませんか。
※身体的・精神的・社会的に良い状態にあることをいい、短期的な幸福のみならず、生きがいや人生の意義など将来にわたる持続的な幸福を含むもの。また、個人のみならず、個人を取り巻く場や地域、社会が持続的に良い状態であることを含む包括的な概念