- 笠間浩幸(かさま・ひろゆき)
- 1958年宮城県生まれ、福島県育ち。同志社女子大学現代社会学部現代こども学科教授。幼児教育学で教鞭をとるかたわら、「砂場と子ども」について20年以上にわたって研究。近年は大人が砂遊びを楽しみ、その魅力や意義を知るためのワークショップ「プレイフル・サンドアート」も主宰。『<砂場>と子ども』『保育者論』など著書多数。
アメリカ生まれの砂場が、日本で広まったのは
砂場研究のきっかけは約22年前、当時、3才だった僕の長女でした。夏のある日、どんなあそびでもすぐに飽きて僕にまとわりついていたのに、公園の砂場に連れていったとたん、夢中になって一人で遊びだしたのです。
「なぜ砂場は、こんなにも子どもの心を引きつけるのだろう」と興味を覚えました。
さらにその後、娘の友だちがやってきて、「砂場の底ってどうなってるの?」と砂を掘りはじめた。大人の僕も興味をひかれ、手伝いました。ものの数分で、ガツッと到達した底はコンクリート。しかも、砂のなかはヒンヤリしていたのに、底は熱かったことに驚きました。
そのときはじめて「砂場は地面を掘ってコンクリートで固めてつくられている」と気づきました。底の部分が熱かったのは、砂場の縁のコンクリートの熱が伝わっていたのです。
「面白い!砂場をはじめてつくった人って誰だろう。お墓参りして、『子どもたちのための砂場を、ありがとう』と言いたい」
そんな思いから、砂場の起源を探りはじめました。文献も少なく苦労しましたが、どうやら日本の砂場のルーツは1885年、アメリカのボストンにあるということがわかりました。社会問題化していたスラム街の子どもの居場所として空き地に砂場をつくったところ、子どもたちが夢中になって遊び、生き生きしはじめたというのです。
砂場はその後、ニューヨークやシカゴにも拡大し、日本には1900年頃(明治30年代末)に入ってきて、大正時代に一気に全国的に広まったとわかりました。
砂場が急速に普及したのはなぜか?それまで幼児教育で主流だったあそびは、ドイツ人のフレーベル(*1)が開発した恩物(*2)を使ったもので、かなり堅苦しい内容でした。それに対して、砂場はいろいろなあそびの可能性があり、子どもの自主性も尊重できる。だから、受け入れられるようになったのです。
僕も20年以上、砂場を研究していますが、砂場ほど豊かなあそび場はないと思います。手や体の感覚を刺激し、道具遊びもでき、簡単に形が変えられるから想像力や創造性も発揮しやすいなど、子どものさまざまな発達を促してくれるからです。
さらに、砂場の研究を通して、「子どもには自ら伸びる力が備わっている」という「子ども観」と、その「伸びる力をより引き伸ばすのは自由なあそびから」という「あそび観」を僕は学びました。大人や社会の役割は、こうした環境を整えることだと思います。
「あそびのすべて」がある砂場。その危機に直面して
糞や寄生虫などによる砂場の安全性が社会問題化しました。「衛生・安全面が不安」なのはわかりますが、「だから、遊ばせない」というのは違うと思います。砂場の管理と「遊んだら、手を洗う」を徹底すれば、感染の可能性はほとんどなくなりますし、そもそも砂場から遠ざけるべきなのは犬猫であって、子どもではありません。
砂場の復活を目指して、子どもの砂遊びの観察をはじめました。ある女児の、月齢11カ月から約6年間、保育園の砂場での様子をビデオに撮りました。
その結果、砂場は子どもの年令に応じた発達課題に対して、さまざまなあそび環境を無理なく、楽しく提供してくれる重要な場所であると再確認できました。簡単に説明しましょう。
0才児は感覚的なあそびが中心で、砂に触る、座る、立つ、登るなど、砂との接触を通して環境と自分の体の関わりを学びます。
1才児には「砂で遊ばない砂遊び」という特徴が見られます。というのは、積み木遊びなら積み木に触りますが、1才児の砂遊びでは、砂よりもスコップなど道具に触っている時間が圧倒的です。道具の扱いは最初はぎこちないものの、何度もくり返すうちに正しい使い方を獲得していきます。
2才児になると、「砂で遊ぶ砂遊び」になります。道具よりも砂に直接触る時間が増え、泥団子づくりなどを通して手指の巧緻性を高め、砂の変化を楽しみます。
さらに年令が進むと、砂場を舞台に電車を走らせたり川を流したりなど想像力や創造性を駆使したあそびや、他者との関わりのなかで、みんなで同じことをする共同作業や役割を分担しながら一つの目的を達成する協同作業などへと進んでいくのです。
こうした活動を通して、言葉の獲得やコミュニケーション力も高まります。このように砂場は子どもの心身の発達に大きな役割を果たしています。だから砂場の安全管理は行政や親だけでなく、社会全体で取り組まねばならない問題なのです。
大切なのは「子どもとは、どういう存在か」と考えること。砂場を守り、子どもたちの豊かな成長を守ることは、私たち大人のためでもあるのです。だって、「子どもは次の時代をになう存在」なのですから。
京都では住民が定期的に公園清掃を行ったり、大阪では砂場に犬猫の侵入防止柵をつくっている地区があったり。そんな努力や工夫をする地域が増えているようです。みんなで砂場を守っていきたいものです。
砂場でなくても、あそびはどこにでもある
とはいえ、砂場がすべてではありません。工夫すれば、あそびは日常生活のなかにいくらでもあるものです。たとえば、空のペットボトル1本でも叩いたり転がしたり、指を突っ込んだり、笛のように吹いてみたり・・・。紙1枚だって、折る、破る、包む。絵だって描けます。
市販の遊具は、「これはこう遊ぶ」というように、あそび方や目的が決まっているものがほとんど。だから、「ものがないと遊べない」と考えてしまいがちです。でも、「これを使ったら、どんなあそびができるだろう」と考えてみれば、何でもあそび道具になります。
たとえばボール1個転がすだけだって、幼児にとってはあそびのきっかけになります。ときどきボールを弾ませたりすると、反応も変わる。その反応を見て楽しみ、子どもを観察する。親は、「子どもと」遊ぶのではなく、「子どもで」遊ぶ、くらいの気持ちでもいいと思うんです。
そうして何か発見があったら、記録に残しておくことをおすすめします。録音でもいいし、今の時代だったらブログでもいい。一行でも残しておけば、一日単位では見えなくても、少しまとめてから振り返れば子どもの変化や成長に気づけます。そうすると、もっと子育てがおもしろくなるでしょう。
左.笠間先生が主宰する『プレイフル・サンドアート』は砂で好きなものをつくる、あそび心いっぱいのワークショップ。砂場の魅力再発見。
右.バケツいっぱいに詰めた砂をひっくり返しただけの土台が、こんなふうに大変身。子どもたちも夢中で挑戦中!
そんなに悩まなくても、大丈夫!
それにしても、「今どきの若い親は…」と言われがちな、最近のお父さん、お母さんたちは大変だなと思います。「ちゃんと子育てしよう」「一緒に遊んであげなくちゃ」などのプレッシャーや、「3才なのにおしめがとれない」といった悩みをいっぱい抱えています。昔は地域社会で子どもを見守る意識や環境がありましたが、今はすべてが親、とくにお母さんにのしかかっているからでしょう。
でも、「そんなに思いつめないで」と言ってあげたい。僕の娘たちもそうですが、将来への経済的な不安がぬぐえない今、子どもを産み育てようと思うこと自体、本当にありがたいことだと僕は思います。
だからこそ、親同士で助け合ったり、子育て経験のある年配者が若い人をサポートする体制をつくらなければと思います。たとえば、昔のあそび環境にはかならずベテランの人がいて、子どもが遊ぶのを見守ったり一緒に遊んだりしながら、子育ての相談までできました。そういう体制の再構築を考えることも必要でしょう。
悩んでいるお母さんたちには、「とにかく砂場においで」と言いたいですね。砂場にはあそびが無限に詰まっていて、子どもは絶対に遊びますから。ただし、それまで「砂場は汚い、だめ」って言われていた子どもには難しいので、そのときは親が一緒に砂場に入って安心させてあげましょう。
あとは型抜きでも、お城づくりでも、ちょっときっかけを与えてあげるだけでよく、「一緒に遊ばなくちゃ」と気負わなくても大丈夫。子ども自身には一人で遊べる力がちゃんと備わってますから。
そうやって、たまには少し離れて、第三者的な視線で子どもを眺めてみるといいでしょう。案外、子どもはけろっと遊んでいるものだし、お母さんたちには少し気が休まる時間になるはず。何より、砂場は大人が遊んでも、とっても楽しいあそび場ですから!