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大人がそっと見守る、“放牧環境”で、子どもの心はノビノビ育つ

Vol.43 Autumn/Winter 2015/2016

そもそも、「心の育ち」とは? ――汐見稔幸さんは長年、育児や教育人間学などを専門とし、子育てや親子関係について研究されています。また、父親として三人の育児にも積極的に関わってこられました。長年、子どもの心に寄り添ってきた体験や視点から、「心の成長」についてうかがいました。

汐見稔幸
白梅学園大学・同短期大学学長
東京大学名誉教授
1947年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2007年4月から白梅学園大学教授・副学長。10月より学長。専門は教育学、教育人間学、育児学。父親の育児参加も提唱。

やさしさを育む、共感スイッチ

 心というのは、体に属する以外のすべてともいえる、とても広い概念です。では、心が育つとはどういうことでしょう。僕は二つの側面をみることが大切だと考えています。ひとつは、やさしいという言葉で表される「心の豊かさ」です。これが育つと、他者に対して親切になれたり、喜びや悲しみを共有できたりします。
 その育て方ですが、実は人間のなかにはやさしさの遺伝子が備わっているので、そのスイッチが入れば誰もがやさしくなれます。ただし、そのスイッチは「共感スイッチ」と呼ばれ、自分が共感したり、他者から共感されたりする体験が重要です。
 たとえば、泣いている赤ちゃんに対してお母さんが「どうしたの?」と声をかけたり、頭をぶつけた子に「痛いの痛いの、飛んでいけ~」と言ってさすったり、失敗して落ち込む子に「大丈夫?」と抱きしめてあげます。すると、その子は「共感された」「愛されている」とよい気持ちになり、スイッチが入ります。
 共感体験によって心地よさが蓄えられ、子どものスイッチも活性化します。そして、似たような状況で今度は自分自身が他者に対して同じような行動ができるようになっていきます。人はやさしくされた経験が多ければ多いほど、心が育ち、他者にもやさしくなれるのです。
 スイッチを上手に押すには言葉のかけ方が重要です。たとえば、親の期待しないことを言ったり、したりしたときに頭ごなしに叱るのではなく、まずは「おもしろい子ね」「こういうことが好きなのね」などと声をかけましょう。子どもは「認められた」と感じます。
 また、「やさしくなりなさい」と親が厳しく言うだけでは心は絶対に育ちません。言葉を生かすには、それにふさわしい行動を伴うことが必要です。たとえば、子どもと遊んでいるときも、「何をつくっているの?」「ママもやってみようかな」などと言いながら、子どもの行動をおもしろがったり、一緒にやったりしてみる。子どもにはとても嬉しいことで、共感を強く感じる瞬間です。こうしてスイッチがどんどん入ってやさしさが育っていきます。

共感は、攻撃性も昇華させる

 僕が心の成長と考えるもう一つの側面は、「表現の豊かさ」です。たとえば、「イメージが豊富」「アイデアがおもしろい」など「1+1=2」にとどまらない想像力や企画力の幅広さから、人をやる気にさせるといったある種のリーダーシップ性まで含みます。
 人間には、やさしさと同時に強い攻撃性が本能としてあります。長い歴史のなかで食べるために動物を殺し、欲望のために時には同じ種の仲間まであやめることのできる唯一の動物が人間です。攻撃性がそのまま現れると暴力的な行動になりますが、その前に「かわいそうだな」と他者を思いやる共感スイッチが働くと、攻撃性にブレーキをかけ、コントロールできます。
 そんな風に共感体験を重ねることで、攻撃性は文化的な行動にまで昇華します。そして、昇華した攻撃性は、意欲や探求心、自己主張などのエネルギーになります。「もっと素晴らしい作品をつくろう」という創作意欲や、「絶対真実があるはずだ」という科学的な探求心、「こうしたほうがいいよ」と人を引っ張るリーダーシップや「ダメ」と言われてもやり続ける自己主張の力にもなるのです。
 時には、自己主張がぶつかりあってケンカになることもあるでしょう。でも、ここで育んできた共感能力が働くと、「他の人に聞いてみよう」とか「どっちもやってみよう」などと考えられるのです。そうして、簡単にあきらめない姿勢や調整をして決着をつける術などを身につけていきます。ケンカだって、心の成長には必要なのです。

あそびのなかで、心は自然に育つ

 攻撃性の昇華に大きな役割を果たすのが、あそびです。たとえば、子どもに積み木を与えると、何も言わなくても勝手に並べたり、積み上げたりしはじめます。これはチンパンジーには見られない行動で、「人間が人間になる所以」とも言われます。人間にはバラバラで無秩序なものに秩序を与え、形ある世界にしようとする本能が備わっているのです。
 そして、ある程度の秩序ができると、「もっと大きなものを」「もっと整ったものを」と欲求は少しずつ高度化します。たとえば、集めた植物の葉っぱをみて、「きれいに並べてみよう」「もっと大きな葉っぱを使おう」と思うなら、その欲求は美的世界に向かっています。「これを植えたら、育つかな」と考えるなら、科学的な探求のはじまりです。
 そんな風に、あそびは芸術か科学か、どちらかへと広がっていきます。「あそびは学び」と言われるのは、そんなところに理由があります。子どもはカラフルなひもだけでも身のまわりにあるものなら何でもあそび道具にします。あそびをきっかけに子どもの可能性の芽を刺激し、あそびを通して好奇心や個性などを大いに伸ばしてあげたいものです。

子どもの“放牧”のススメ

 昔は日常的に「子どもだけの世界」がありました。毎日、「外で遊んできなさい」と家から出され、近所の異年令の子どもたちと遊ぶことが当たり前でした。そこは大人の目がない世界。子どもたちは好きに遊びます。「昨日はここまでやっておもしろかったから、今日はここまで」とあそびのレベルを上げたり、小さい子もお兄ちゃんたちをまねして自然にいろいろなことに挑戦できました。放っておいても成長できる環境があったのです。
 残念ながら時代は変わり、今はそんな風に子どもが自由に遊べる空間や仲間は減ってしまいました。だから、大人が意識的にそんな環境をつくってあげなければなりません。 僕がおすすめするのは、「子どもの放牧」です。放牧というのは大きくは囲っていますが、そのなかで家畜は見守られながら自由に運動し、草花を食べます。同じように保育施設や家庭という囲いのなかで、子どもを放牧するのです。
 そこでは、ある程度の遊具をそろえたら、あとは「こうやって遊びなさい」などと指示や干渉をせず、子どもに任せることがポイントです。「上手にできたね」なんて評価もしない。評価されると「上手にやらなきゃ」とプレッシャーになり、できなければ「もうやらない」となりかねません。むしろ、「へー、こうやって遊ぶんだ?おもしろいね」と、子どもの意思を認めてあげる姿勢が大切です。
 時には、「ママにも教えて」と一緒に遊ぶこともいいでしょう。ごっこ遊びなど人と関わるあそびなら、子どもは自然に他者と交流し協力することを覚え、社会性も身につけられます。
 これはコーチングと呼ばれる教育メソッドのひとつです。コミュニケーションをとりながら、子どもの意欲や潜在能力を引き出します。ほどよい距離感を保てる「放牧環境」をつくることは、子どもの自発的な育ちを促すための、今風の方法だと思います。

子どもの個性をおもしろがる

 子どもにはそれぞれ個性があります。たとえば、絵本の読み聞かせで、「もう1回」と同じ本を求める子と、「次はこれ」と違う本を求める子がいます。前者は凝り性、後者は好奇心旺盛な子。どちらがいいも悪いもありません。
 積み木遊びでも、時間をかけてキッチリ積む子と、完成度はともかく、どんどん積む子がいます。前者は決して時間のかかる要領の悪い子ではなく、じっくり取り組む職人タイプ。後者は丁寧にできないのではなく、達成感が好きなタイプと考えましょう。
 親御さんには子どものよさを見つけて「これがこの子のよい表現なんだ」と上手に伸ばす、名コーチになってほしいですね。子どもだって苦手なことばかりさせられたらイヤになります。子どもの個性や興味を認め、共感してあげましょう。
 最近は、子どもの発達状態を測る指標として「心の理論」や「誤信念課題」などが話題になっていますが、それらはあくまでも、ある一定の条件下で行われた実験の結果です。それがすべて正しいわけではないと、僕は思っています。
 先述のとおりに、子どもには個性や持ち味があるものなのに、テストはそれらを考慮せずに行われます。条件や環境を変えたら、違う結果が出ることも十分にあり得ます。
 一般論をうのみにするのではなく、「子どものことは親が一番わかっている」と自信をもちましょう。他の子と比べる必要もありません。「その子らしさ」を尊重し、ゆったり見守る姿勢が、子どもの心を育て、伸ばします。

この記事は、あそびのもりVol.43 Autumn/Winter 2015/2016の記事です。

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