- 星山麻木 (ほしやま・あさぎ)
- 明星大学教育学部教育学科教授。日本音楽療法学会認定音楽療法士。東京学芸大学音楽科卒業。横浜国立大学大学院(障がい児教育)修了、東京大学医学系研究科(保健学)博士号取得。海外留学後、鳴門教育大学助教授を経て、2010年より現職。現在、親子レインボーパレット開発中。親子対象の音楽ムーブメントを取り入れたワークショップは20年以上の実績をもつ。
みんな違っていていい。それぞれ、素敵なんだよ
発達障がい児の教育に携わって約30年になります。発達障がいとは脳の機能障がいであり、発生原因はまだ医学的に解明されていませんが、現在、10人に一人の割合で支援の必要な子どもがいると推定されます。決して珍しくはないのに、実態がよく知られていないために支援が遅れ、当事者の子どもはもちろん、家族など周囲の人も辛い思いをしているケースが少なくありません。私はそんな人たちのために、発達障がいについての理解を深め、支援体制を広めたいと思って活動してきました。
代表的な発達障がいは3つです。高機能自閉症(*1)はこだわりが強い、コミュニケーションが上手にとれないといった特徴があり、ADHD(*2)は不注意型症候群と言われるADDと多動・衝動性症候群のHDDの2つの型に分けられます。学習障がい(*3) は読み書きや計算など学習に必要な基礎能力の一部に落ち込みがあり、縦書きは読めても横書きはダメ、BとDが区別できないなどが典型例です。
こうした発達障がいは適切な支援で症状が軽減できますが、障がいへの理解が遅れているため「うちの子は平気」と見過ごされ、苦手なことを強制されたり、偏見をもたれたりと適切な支援につながっていないのが実情です。そのため、その子自身が「どうしてできないんだろう」「自分は変なんだ」と傷ついたり、いじめの対象になったり、不登校やうつ、拒食症、自傷・他傷行為といった二次障がいが発生する場合も少なくありません。
海外での特別支援教育は「Special Education=天才児教育」も含まれます。苦手な部分ではなく、得意なところ、できることを伸ばしていこうという発想で、才能教育といってもいいでしょう。実際、発達障がい児は特別な才能をもっている子どもも少なくありません。できないことは電子機器の利用などで補い、自分に備わっている才能を磨く努力をしたほうが、自立につながるよい支援となります。
日本では「みんな同じがいい」という、スタンダードに合う合わないで人を評価しがちです。人間は一人ひとり違うのが当たり前なのに、「同じことをしろ」というのは無理な話です。
まずは、子どもたちの多様性を認めることが第一です。そして障がいに対しては、「できなくても、一生懸命のあなたはいいじゃない」という大らかな気持ちで受けとめ、「君にだって素敵なところはあるんだよ」と本人に伝えることが支援に結びつくのだと思います。
私の、あなたの、素敵なところってどこかな
音楽科の学生だった私が障がい児教育に携わるようになったのは、大学卒業後にたまたま養護学校の臨時教員に採用されたことがきっかけです。筋ジストロフィーによる肢体不自由児のクラスを担任し、彼らの精一杯生きる姿に感動し、ご家族の子どもたちを思う気持ちにふれて、障がい児教育に目覚めました。
そして教員経験後、2つの大学院で学び、欧米の大学にも留学しました。学べば学ぶほど、日本は先進国のなかで、この分野で遅れていると実感しました。発達障がいを学ばずに、ただ「親のしつけが悪い」「教師の教え方が悪い」と責める場面も見ました。そこで発達障がいへの理解を広め、子どもたちへの具体的な支援のできる人を育てることで一生懸命な親子の力になりたいと考えたのです。
大切なのは、自分で自分を大切に思う自尊感情を育てることです。私は子どもたちに、「あなたは大切な存在で、あなたらしくそこにいるだけで素晴らしい」と伝えたいし、親御さんや先生たちにも、その子が「何ができるかできないか」と見るのでなく、その子が「そこにいること自体が素敵なこと」という気持ちをぜひ、子どもたちに言葉や態度で伝えてほしいなと思います。
同時に、親御さんたちの自尊感情を育てることも大切です。親御さんは「お宅のお子さんは…」などと叱られることが多く、毎日不安で自信を失っている人も多く、傷つけ合いが世代間で連鎖しがちです。
人はいくつになっても人から褒められたい、認められたいという思いがありますから、親と子、そして親同士でも互いに認め合いましょう。それが自尊感情を高めます。
ときには「私の素敵なところは…」「あなたの素敵なところは…」と口にだして言ってみることもいいトレーニングになりますよ。
音楽療法ワークショップの様子。親子一緒に音楽に合わせて歌ったり踊ったりしながら、他者との関わりや、自己表現の術を自然と身につけていく
脳が育つ環境づくりあそびが脳を育てる
このようなワークショップにはアート、ダンスなどいろいろな手法がありますが、私が行っているのは音楽療法(*4) です。養護学校の教員時代に「音」は楽しむものであり、子どもと私を結ぶコミュニケーションツールだと強く感じたからです。
音楽やアートの優れている点は、言葉を使わなくても気持ちを伝え合える、ノンバーバル・コミュニケーションであること。発達障がいのある子はもちろんですが、言葉でのコミュニケーションが苦手な人はたくさんいます。でも、ピアノの前に座ってもらい、「私も音で返事するから、あなたも音で話しかけてみて」と促すと、ピアノが弾けない人でも次第に鍵盤をたたくようになり、互いの気持ちが通じるようになってくるから不思議です。私が気持ちを通じ合わせたいと心に思いながらピアノを弾くと、それまでそっぽを向いていたADHDや自閉症の子たちでもぱっと振り向きます。「うわ~、通じてる!」って、音楽は魔法のようです。
ワークショップで重要なのはファシリテータです。決められたメニューをやり通すのでなく、臨機応変に相手の様子に合わせ、声かけの仕方やタイミングなどを変えています。療育とはそれぞれに必要なニーズを見極め、与えるものだという教育の本質ではないかと思います。
最近は昔に比べ、発達障がいが顕在化しています。要因のひとつは価値観が画一的になったこと。昔なら多少勉強ができなくても虫捕りが得意だとか、お絵描きが上手だとか、子どもたちの良いところを認める心の余裕がありました。今は完璧な子育てをしなければ、頭のいい子を育てなければと親は追い込まれています。無意識に他の子と比べてしまい、子どもたちはプレッシャーで息苦しくなってしまうのでしょう。
あそび環境の変化も要因として考えられます。庭も狭く運動量も減っていて、友だちと群れたり、異年令の子と交流する機会もほとんどなくなり、経験の幅が狭まっています。こうした状況は脳の発達のためにもいいことではありません。子どもにとって「あそび」は、誰かに指示されるものではなく、自ら学ぶ活動。正しい答えや間違いはなく、点数をつけられることもありません。だからこそ、解放され、夢中になり、いろいろ考えて工夫ができます。障がいのあるなしに限らず、子どもにとって自由にのびのび遊ぶという体験はとても大切なことだと思います。
遊具選びも重要です。私は重度の障がいの子どもでも遊べるかを基準に選んでいます。彼らだからこそ、本物しか選ばない。それは、しっかりしたつくりで多様なあそびができ、「子どもに何を伝えたいか」という開発者の思いがこもったものです。
もう一つ大切なのが場所です。多様な人が交じりあって遊べる場が必要です。年令もさまざまな子どもたちが遊ぶ様子を、おばちゃんやおじちゃんが何気なく見守る風景があった昭和時代の公園のように。
そんな試みの一つが、東京都八王子市の駅ビル内にあるキドキドの一角に設置した子育て支援コーナー。ボーネルンドと私、八王子市という産官学がつくる、親子のための新しいコミュニティです。子どもたちの大切な世界を壊してしまった今、子どもが健やかに育つあそび環境をつくることは大人の重要な役割なのです。