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親学

子どものやることにダメなんかないだから、ありのままを認められる

Vol.55 Spring/Summer 2020

全国から授業視察が後を絶たず、ドキュメンタリー番組でも紹介されるなどカリスマ数学教師として注目されている井本陽久さん。子育て中の多くの人に知ってもらいたい「子どもたちのありのままを認める」とはどのようなことなのか、お話を聞きました。

井本陽久さん
「いもいも」講師、栄光学園中学高等学校非常勤講師。栄光学園にて数学教師を27年間務めたのち、2019年度より非常勤講師に。花まる学習会「いもいも」講師として教壇に立っている。 http://imoimojuku.net/

子どものやることにダメなんかないだから、ありのままを認められる

僕は幼い頃、気になったら試さずにはいられない、いつもひっきりなしに動いている子どもでした。自分の思うがままに遊んでいたし、「これやっちゃダメ!」なことを、とことんやっていました。道路の側道にあるドブの中を歩くとか、電車のホームの端からおしっこをするとか…。それらは、僕の中では“サービスの一環”。まわりの人たちを驚かせたかったのです。みんながやらないことに価値を感じていました。もしその頃の自分が目の前にいたら、僕でも怒ってしまうかもしれません。
そんな自他共に認める「悪ガキ」でしたから、家に苦情の電話がかかってきたり、学校から呼び出されることもしばしば。母はまるで日課のようにいつも僕をつれてどこかへ謝りに出かけていました。ただ、僕自身が母から怒られた記憶は一切ありません。これをやったらいけないとか、こんなことはダメだなんて言われたことがなかったのです。
なんでも自由にやらせてくれる母から、僕は安心感と愛情をたっぷりもらいました。
母に会うたびに、その頃の話を尋ねます。「いろいろいたずらやってたじゃない? でもなぜ“ダメだよ”って言わなかったの?」。すると母は決まって「子どもってそういうものだと思っていたから」と答えます。
僕の教育観は、間違いなく母の「子どものやることにダメなんかない」という考え方に強く影響されていると思います。

思考の土台は あそびの中でしか育たない

指導していて思うのは、僕たち教師が子どもの能力を伸ばすことはできないということです。教師が関わって伸ばせるのは、その子が伸びていく中の一要素でしかありません。学力が伸びるか伸びないか、その決定的な要因に「思考の土台」があると感じています。
何かの問題に取り組んで、問題を解く見通しがぱっと閃く力のある子は「思考の土台」を持っています。この土台が中学校で伸びることはありません。その年齢ではもう変化しないのです。
では、その土台を作っているものは何か。それは幼い頃から体験してきた「あそび」だと思います。例えば、ペットボトルのキャップをずっと開けたり閉めたりしている子がいます。
運動機能的なことで言えば、指や手首を使ってキャップを「回す」という作業です。同時に触覚は、「固い」という感覚をつかみます。さらに、さっきと同じように回していてもうまく回せない場合もあって、子どもは試行錯誤します。いろんな側面から繰り返して学んでいるのです。
大人から見れば意味がないように見える行動でも、それに没頭することで子どもたちはいろんな「種」を、体全体で身につけているのです。

子どもが本来持っている輝きが見えれば子どもを見る目も変わる

先日、幼稚園の子どもたちが遊んでいる光景を見かけました。なかでも僕が注目したのが、水たまりの中に両手を突っ込んでいた子どもです。きっと水に手を入れた瞬間は「ヒヤッ」としたでしょう。土の奥のぬるぬるとした触感だったり、水が腕をつたうことで重力や摩擦を、具体的に体験していたかもしれません。
こうして子どもたちは日々の生活の中で、たくさんの「具体」を体験し、速さや重力などのルールや法則を見出していきます。例えば小学校で習う「速さ×時間=距離」の関係も、遊んできた体験の中で具体的な感覚を持っている子は、それを先生が言語化することで難なく吸収していきます。
けれど、昨今の子どもたちの勉強方法には何の躍動もありません。机に向かう勉強は、目と少しの耳を働かせているだけ。体全身で身につくわけでもなく、頭の中で記憶するだけです。勉強がつまらないものになるのも当然で、自分の考え方、感じ方で判断しない方が得だと感じるかもしれないし、こういうことひとつひとつが子どもの輝きを奪いとっていくことになる。僕は子どもたちの未来に危機感を募らせざるを得ません。

子どもが出会った「縁」を見守ることが大切

大切なのは、子どもたちが遊んでいるときに何を試行錯誤しているのだろう、何に没頭しているのだろうと、周囲の大人が純粋に観察することです。
注目すべきは「できた」「できない」ではありません。学校の先生と同様、親も子どもの「思考の土台」を伸ばすことはできません。なぜなら「思考の土台」を作る「あそび」は、子どもが自主的に自分で選びとった「縁」でしか育めないからです。その「縁」や環境を守り、子どもを見守ってあげることが大人の役割なのではないかと思います。

ダメじゃない、ダメなはずがない

僕自身は、だらしなくて片づけられない人間なのですが、だらしない自分もいいなと思っているので、だらしない子を見ても可愛くて仕方がない。子どもにダメなところなんてない、と思ってやってきましたが、最後まで許せなかったのが「ズルさ」でした。それは僕自身が自分のズルさを認めていなかったからだと思います。でも、ズルかろうがなんだろうが、ありのままのその子を認めることができたとき、僕自身が自由になれた。許せない自分からも解放されたのです。「子どもたちのことを承認する」なんて言いますが、実は、子どもたちを通して僕自身を解放させてもらっているのだと思います。
親御さんはつい、自分の子どものダメなところばかりを一生懸命見てしまうかもしれません。子どもは素直なので「ダメ」って言われたらそのまま受け止め、諦めてしまいます。子どもが夢中で遊んでいたり、意味のない作業に没頭している姿に注目してみてください。本来持っている輝きが見えてきます。やがて、子どもを見る目が変わり、ありのままを認められるようになるはずです。だって、子どもは「ダメなはずがない」のですから。

この記事は、あそびのもりVol.55 Spring/Summer 2020の記事です。

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